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二本松提灯祭 

二本松提灯祭 秋の夜空を赤々と焦がす3000の提灯 
二本松提灯祭は福島県二本松市にある二本松神社の例大祭で、日本三大提灯祭の一つに数えられます。
日本三大提灯祭とは、秋田の竿燈祭、愛知の尾張津島天王祭、そしてこの二本松提灯祭のことを言います。
二本松提灯祭 秋の夜空を赤々と焦がす3000の提灯 
二本松提灯祭は福島県二本松市にある二本松神社の例大祭で、日本三大提灯祭の一つに数えられます。
日本三大提灯祭とは、秋田の竿燈祭、愛知の尾張津島天王祭、そしてこの二本松提灯祭のことを言います。

二本松提灯祭 日本三大提灯祭のひとつ

電気のない時代、暗闇のなかでわたし達を照らす安心の拠り所だった提灯。その明かりには、人々の魂とともに、神々への祈りが込められています。
二本松提灯祭りで一番の見どころとなるのは、初日「宵祭」です。二本松神社のかがり火を移した紅提灯を鈴なりに吊るした太鼓台7基が繰り出します。提灯の数はなんと約3000。その迫力は、提灯の明かりが夜空を赤く染めるほどです。
無数の提灯が吊るされた太鼓台は威勢のいい若連の掛け声とお囃子を奏しながら、市内を勇壮に練り歩きます。その姿は幻想的で、提灯の灯りの揺らめきに見惚れていると、心が溶け込んでいくようです。

この祭のきっかけは1643年(寛永20年)に織田信長の重臣だった丹羽長秀公の孫・丹羽光重公が二本松城城主として二本松藩に入府したことでした。
領民思いの賢公であった光重が「よい政治を行うためには、領民にまず敬神の意を高揚させること」と考え、翌年二本松藩総鎮守として二本松神社をまつり、領民なら誰でも自由に参拝できるようにし、本町・亀谷の若連が神輿を渡御したのが祭りの始まりといわれています。この試みは、士農工商の厳格な身分制度によって領民を支配するのが一般的だったこの時代には画期的なことでした。
領民はこの城主を好意的に受け入れ、踊りが主だった祭はいつしか今のように大掛かりな太鼓台と提灯がその中心を担うようになっていきます。その歴史が今に引き継がれ、夜空を彩る幻想的な祭として今も地元の人の大事なイベントとなっているのです。

提灯の幻想的な灯り

提灯はそのむかし中国から伝来しました。
その後室町時代末期に折りたたみのできる構造のものが考案され、私たちのよく知っているかたちの提灯になりました。
当初は貴重なもので一部の上流階級や宗教儀式に使われるのみでしたが、蝋燭の普及により一般庶民にも身近なものとなっていきました。
明治から昭和の初めごろまでは、夜道を照らす灯りとして、地方では日頃から使われていたといいます。
今では生活用具として提灯を使うことはなくなりましたが、赤い障子紙越しの柔らかな灯りを見ていると、非日常の幻想的な気分に浸ることができますよね。

二本松城

福島・二本松の地は幕末の戊辰戦争の中でもとくに激しい戦いの起こった土地でした。
二本松藩は戊辰戦争で旧幕府軍に味方したため、東北へ攻め上ってくる新政府軍の標的となりました。
激しい戦いの末、二本松藩は家老以下の上級職18名全てが戦死し、多くの少年兵も命を落とすという悲惨なものになりました。
城を枕に討ち死にする、という事例は戦国時代が終わって以来唯一のもので、この時の記憶は二本松の人びとの心に刻み込まれています。

二本松城は日本100名城の一つにも指定されており、城郭だけをとっても貴重な二本松城ですが、今に残る城の歴史をたどってみることで、よりいっそう城とその城下町に暮らす人々への理解が深まることでしょう。

明治の文豪 幸田露伴の句碑

ここ、二本松は明治の文豪、幸田露伴の雅号が生まれた地でもあります。千葉に生まれた露伴は、本名を成行(しげゆき)といいます。
北海道余市に電信技師として赴任していた露伴は、二十歳のときに作家になることを志し、陸路東京へと向かいます。日暮れ近くに汽車で福島へ着いた露伴は所持金の不足から、福島から郡山へと夜通しで歩くことを思い立ちます。その距離、およそ50キロ。文学で身を立てることへの決意に、気分が昂揚していたのでしょうが、とても正気の沙汰ではありません。
福島から南へ歩くこと25キロ。奇しくも二本松では、その晩は提灯祭の当日。祭の熱気に盛り上がる中を、ひたすら南へ南へと歩きますが、体力・気力はすでに限界。ついに露伴はとある坂の道端へ倒れ込んでしまいます。
いつか野垂れ死ぬことがあればこんな具合であろうと考えて口をついて出た句が

「里遠し いざ露と寝ん 草まくら」

この夜の経験が忘れられず、二年後、文壇への登場のとき、「露伴」の号を名乗ったといいます。

今では「露伴坂」と呼ばれているこの坂には、現在そのエピソードを伝える句碑があります。
幸田露伴は、谷中感応寺の五重塔建立に全てを捧げる宮大工、十兵衛の活躍を描いた小説『五重塔』によって知られています。
『五重塔』をはじめ数々の傑作小説を遺した幸田露伴。彼の作家人生の出発には、二本松の地があったのです。

 

七町合同出発式_二本松提灯祭り2022宵祭り

見せ場-亀谷坂下の七町パフォーマンス

  • 名称

    二本松提灯祭

  • 開催月

    10月

  • 開催場所

    二本松市市街地

  • 最寄り駅

    電車:JR東北本線 二本松駅から徒歩ですぐ

  • 主催者

    二本松提灯祭実行委員会(二本松市観光課 観光振興係内)

  • 関連情報

最終更新日:2023.06.16

祭りの記録

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